研究の概要

水素燃料電池の普及コスト低減において最大の障壁の一つが、触媒として使用される白金(Pt)の高コストと劣化問題である。白金を薄膜として基材(例:イリジウム)上にエピタキシャル成長させると、格子不整合による「表面ひずみ(strain)」が生じ、酸素還元反応(ORR)の触媒活性が向上することが知られている。しかし、薄膜が厚くなると「ひずみ緩和」が起き、長期的に活性が失われる問題があった。

本研究は、「どの膜厚まで安定したひずみを維持できるか」という臨界点を実験・第一原理計算・燃料電池実証の3アプローチで総合的に特定した。特に注目すべきは、単なる実験的最適化ではなく、ひずみの「臨界領域」という概念を確立した点である。

主な発見・成果

  • 臨界ひずみの特定:第一原理計算により、臨界ひずみ値は圧縮方向-8.2%から引張方向2.7%の範囲で、最適ひずみは-2.5%と特定された
  • 膜厚約3nmが転換点:イリジウム上の白金薄膜では約3nmまでは不可逆的ひずみ緩和が起きず、安定した触媒活性を維持
  • 高活性の実証:H₂-air高分子電解質膜燃料電池(PEMFC)において0.9 Vで1.5 ± 0.3 A mgPt⁻¹の質量活性を達成(従来の商業触媒より高活性)
  • 高耐久性の実証:30,000電位サイクル後の性能低下が10%未満という優れた耐久性
  • 実用的設計指針:「約3nm以下のPt薄膜をIr上に成膜する」という明確な製造指針を提供

実務への応用

燃料電池の普及コスト低減において、触媒の「長寿命化+高活性化」は最重要課題の一つである。本研究の「臨界ひずみ領域」の概念は、燃料電池スタック設計者・触媒材料開発者・調達担当者に3つの実践的示唆を与える。

白金使用量の削減:高活性な薄膜設計により、同等性能を少ない白金量で実現できる。白金は貴金属で価格変動リスクが高く、使用量削減はサプライチェーンリスク低減にも直結する。②劣化評価基準の更新:30,000サイクル耐久性は実用的な燃料電池評価指標であり、触媒調達・品質検証の基準設定に参考になる。③水素社会に向けたコスト試算の精緻化:触媒コストを正確に見積もるためには「膜厚と活性・耐久性のトレードオフ」を理解することが必要であり、本研究はその設計空間を明確化した。